年末年始休業はゲームをするのに最適だ。
まとまった時間が取れるし、こもる準備さえすれば一週間くらい人前に出なくても問題にならない。
私が正月を過ごすのが、人里離れた山の中だからというのも理由の一つかもしれない。

今年の正月休み、私は浮かれていた。
なぜなら『新サクラ大戦』が発売するからだ。

1996年に『サクラ大戦』が発売されてから、『2―君、死にたもうことなかれ―』『3―巴里は燃えているか―』『4―恋せよ乙女―』『5―さらば愛しき人―』とすべてをプレイしてきた。
何ならオタクになったのも、サクラ大戦が入口と言えるかもしれない。
私がライトノベルと言われる本で最初に手にとったのが『サクラ大戦・前夜』
サクラ大戦の隊員たちの過去が描かれる内容だったのだから。
そんな想い出の作品が、10年ぶりに新作を出す。浮かれないワケがない。


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↑浮かれて買った限定版

「サクラ大戦は魔物だ」

そう描かれていたのは、どの小説のあとがきだっただろうか。
記憶が定かではない。それでも、その言葉にはとくと同意したい。
サクラ大戦は魔物だ。
ゲームで、アニメで、ミュージカルで、小説で。
今あるメディアミックスの先駆けともいえるすべてがサクラ大戦には入っている。

サクラ大戦でオタクに目覚めた私が、新サクラ大戦をプレイして、その想いはもっと強くなった。
今までサクラ大戦以外にも、数多くのギャルゲーや乙女ゲーをやってきた。
残念ながら、サクラ大戦以上に心惹かれる物語には出会えていない。
そのたびに、私はこう思っていたのだ。

「サクラ大戦ほど面白くはない」

だが、今は違う。新サクラ大戦に触れて、私は自分の認識が間違っていたことを理解した。
サクラ大戦以外のゲームが面白くないわけじゃない。

「サクラ大戦が面白すぎるだけなのだ」と。

これは、そんなサクラ大戦大好きなオタクが語る、新サクラ大戦のレビューになる。



目次
◯『新サクラ大戦』レビュー
1、歌:音だけで私は泣いた
2、ストーリー:サクラ大戦の歴史は、日本の歴史にリンクする
3、キャラクター:魅力的にすべきは中身!
◯まとめ


『新サクラ大戦』レビュー

1、歌:音だけで私は泣いた

サクラ大戦の売りの一つは音楽だ。
それについて、否定する人間はいないだろう。
今までのシリーズ全てにおいて、素晴らしい楽曲が素晴らしいタイミングで使われていた。
キャラクターソングに留まらず、劇中歌も数多く作られているのが特徴的だ。
そのうえ、劇中劇がそのままミュージカルになっている。なんてことだろうか。まさしく、サクラ大戦がいかにバグった作品だったか分かる例だろう。

今回、新サクラ大戦においても、その素晴らしさは変わっていない。
ツイッターで話題をさらった『新ゲキテイ!』は、もちろん、ストーリー中で挿入される音楽は素晴らしい。
戦闘中に、歌入りの音楽が流れてくるときは鳥肌モノだ。
新サクラ大戦では世界中の華撃団が集まる。それぞれの戦闘で、それぞれの華撃団の主題歌が流れるのは熱い。

残念なのは、戦闘がアクションゲーム仕様になっていることだ。
爽快感はある。
しかし、歌やセリフを大切にするサクラ大戦で、アクションゲーム化する必要があったのか疑わしい。
もっと聞きたいと思っても、否応なく進む戦闘では味わえない。
ヒドイとキャラクターが話している間でも話は進む。
それでは物語を楽しむことが難しい。
ぶっちゃけ、以前の戦闘システムで良かったと思うのだけれど、ゲーマー諸君はどうだろうか?

さて、今回、古参に嬉しかったのは「奇跡の鐘」が流れたことである。
「奇跡の鐘」は、サクラ大戦2でのキーになる歌だ。
帝国歌劇団のクリスマス公演で流れるというのは、2のときも、新サクラ大戦になっても変わっていない。

私はこの歌だけで泣いた。
いや、ほんと、本人もびっくりしてる。まじで泣けたんだって!

サクラ大戦2は何回も繰り返してプレイしてきた。
サクラ大戦2では、ヒロインの選択が奇跡の鐘公演にあわせて行われる。
つまり、自分の選んだヒロインが、奇跡の鐘公演で主役になるのだ。

自分の選んだヒロインが主役になった奇跡の鐘。
その情景が、一気に蘇り私を泣かせたのだ。

幼き日の私は、ヒロイン選択を真剣に悩んだ。
繰り返せば良いのはわかる。誰を選んでも良いのもわかる。
それでも、魅力的なヒロインたちから、一人を選ぶのは至難の業だった。
――選べない。
それこそが、面白いギャルゲーが持つべき葛藤なのではないだろうか。

惜しむべきは、新サクラ大戦に、その葛藤が受け継がれなかったことだ。
どのキャラでもいい。
そう思えてしまうギャルゲーは、面白さに欠ける。
葛藤もないから、印象にも残らない。
新サクラ大戦の音楽で、音楽だけで泣ける日が来るとは、残念ながら思えなかった。

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↑限定版には今までの楽曲がまとめられたCDがついている


2、ストーリー:サクラ大戦の歴史は、歴史にリンクする

次にストーリーだ。
サクラ大戦の魅力は歴史に重ねられたストーリーにあると思っている。

1は関東大震災に天海。
2はクーデターに、陸軍大臣。
3は巴里の歴史と怪人。
4は江戸における銀座。

簡単に書いただけだが、今までのサクラ大戦は場所の歴史を織り込んだストーリー展開が巧かった。
なぜ、その場所に降魔が現れるのか。
なぜ、争わなければならないのか。
プレイヤーを物語に引き込むストーリーが常に展開された。
伏線も回収し、歴史とも絡め、物語の厚みが出る。
王道のストーリーとギャルゲーが理想的に組み合わされていたのだ。

おかげさまで、私は明治の終わりから大正の歴史に異常に詳しい人間になった。
関東大震災の日付までばっちり答えられる。
ロシア革命に辛亥革命も、バッチコイだ。

今作では、さらに衝撃的な事件が起きている。
それは降魔大戦争という事件で、すべての華撃団が消えたというものだ。

実は、このネーミングから、ちょっと引っかかっている。
降魔大戦争。
サクラ大戦をプレイした人間なら似た名称を聞いたことがあるだろう。
そう、「降魔戦争」だ。

降魔戦争は、華撃団設立前の事件として語られる。
この降魔戦争により、華撃団が設立されることになる。
降魔戦争で活躍した人間に、ヒロインである真宮寺さくらの父親や、前支配人である米田一基がいるのだが……語ると止まらなくなるから辞めよう。

降魔大戦争とは、あまりに安直な名付け方ではないだろうか。
大戦争なら、何が大戦争だったのか説明が欲しいところである。
なぜ、大戦争が起きたのか。なぜ、大戦争という名前になったのか。
少しでもプレイヤーにわかるようにして欲しい。
それがないから、ただ単に「降魔戦争」があって、それより後の大きい戦いだから「降魔大戦争」ってつけたなんだろうなぁ、なんて思われるのだ。

悲しいことに、今作では、この手の説明不足が多すぎる。
世界中に華撃団ができた理由も不明。
華撃団大戦なんてものが始まったのも不明。
敵の目的も不明ならば、結局、この作品は何のために作られたのかわからない。

降魔皇とかいう、封印されたラスボスを復活させるために、色々頑張ったのはわかる。
復活すると、帝都が潰れるのもわかる。
そんなことできる降魔なら、世界の危機というのも、わかる。
問題は、なんで降魔皇のために、幻庵は戦うのかということだ。

物語にプレイヤーが共感するには、理由がいる。
敵味方関係なく、理由がいるのだ。
今までのサクラ大戦は、この理由がすごくわかりやすかった。

今作では、謎だけを増やし、回答編が少しもない。
プレイし終わって、残ったのは疑問だけ。
それはあまりにもヒドイ作りと言わざるをえないのではないか。

つーか、すみれ様、かっこいいし、可愛いし、綺麗だし、美しいしで、相変わらず、素晴らしいお方なんだけど、過去からの絡みで一番可愛そうなの、どうにかして欲しい。
これ、続編でないと、すみれ様のために、妄想でも二次でも、華撃団帰ってくる話を作らないといけないレベルですよ!

……すくなくとも、一人(私)は本気でそう思うので、セガさん、本当によろしくお願いします。


3、キャラクター:魅力的にすべきは中身!

ギャルゲーでいちばん魅力的であるべきなのはなんだろう。
音楽?
ストーリー?
テーマ?
どれも大切には違いない。
しかし、ことギャルゲーにおいて、間違いなくこれだけは外してならないものがある。
それは『キャラクター』だ。

キャラクターが魅力的でない、ギャルゲーは存在してはならない。
キャラクターを魅力的にするために、ストーリーがある。
ストーリーを通して、キャラクターは何杯も輝くものなのだ。

今回の『新サクラ大戦』も、この部分は外していない。
それぞれ特徴的なキャラクターが5人登場する。これに文句はない。
サクラ大戦らしい、和風なキャラクターから、華撃団と歌劇団を兼ねるという設定から、ちょっと特殊なキャラクターまで、前作から変わらず登場する。

だが、惜しい。
今作のキャラクターは抜群に特徴的で、魅力的なのに、物語が欠けているのだ。

たとえば、1に登場したキャラクターを振り返ってみよう。

さくら:破邪の血統を持つ
すみれ:神埼重工の一人娘
カンナ:父親の仇を探す、空手家
マリア:ロシア革命を経験した戦士
紅蘭:発明大好き娘
アイリス:巨大な霊力が暴走しがち

今作はどうだろう。

さくら:絶界の力を持つ
初穂:神社の巫女
あざみ:忍者
クラリス:破壊の魔術を受け継ぐ家
アナスタシア:欧州のトップスター

ふむふむ、キャラクターの持つ“肩書き”としては負けていない。
足りないのは物語。つまり、彼女たちを魅力的に見せるストーリーなのだ。

前回までのサクラ大戦では、一人のキャラクターに1話はスポットライトが当たる回があった。
そのヒロインの生い立ちから現在にいたるまでを丁寧に描いてくれるのだ。
だからメインヒロインとも言える「さくら」以外のキャラクターに対しても、プレイヤーは感情移入をしやすい。さらに言えば、好きになるポイントがわかりやすかった。

新サクラ大戦でも、その点はある程度、引き継がれている。
それでも、前作までと比べて、あまりにもキャラクター自身に踏み込む場面が少ない気がしている。
前日譚の小説や、アニメ、舞台化が決まっているとはいえ、それはあくまで補完である。
ゲーム単体のストーリーでプレイヤーを引き込めなければ、他のメディアミックスも結果が予想できそうなものだ。

私が今作でいちばん惜しいキャラクターになっていると思うのは初穂だ。
江戸っ子で、神社の巫女。さくらの親友と美味しい情報がてんこ盛り。
それなのに、描き方が浅いせいで、どうにも入りにくい。
せっかく神社の跡取り娘なんて設定があるなら、そっちでモメる話を入れても良いと思うし。
もっといえば、巫女として帝劇の霊子水晶を清めるなんて役目、絶対重要でしょ!
……ああ、惜しいっ。私、絶対、好きなキャラなのに。

前作は、すべてのキャラクターが魅力的すぎて、入り込みすぎて、選べなかった。
今作では、すべてのキャラクターが薄っぺらい。外見、設定がしっかりしているのだから、あとは見せ方だけだ。
この状況からどう挽回するのか、古参としては見守るしかない。


まとめ


新サクラ大戦は、ゲームとして及第点ではあると思う。
サクサク進むし、迷う部分も少ない、アクション部分も好きな人間にはハマる部分だろう。

しかし、残念なことに『サクラ大戦』として見てしまうと、前作までの半分の魅力といったところだろうか。
音楽でどうにかこうにか補っているが、物語に大切なストーリーとキャラクターが中途半端になってしまっている。
これが口惜しくてたまらない。

皮肉なことに、新サクラ大戦をし終わった後に、とてもサクラ大戦をしたくなった。
1と2をもう一度プレイしたくなったのである。
プレイステーション用にリメイクも出されているし、新しく買っても良いかも知れない。
新サクラ大戦で私が泣いたシーンがすべて、昔の場面を思い出してだったのが痛い。
しかも、すみれ様が奇跡の鐘をアカペラで歌うシーンまで入れてくれるのだから、堪らない。
古参の涙もちょちょぎれるというものだ。

だが、それだけ。
新サクラ大戦を繰り返しプレイしたり、思い出して泣くことはないだろう。
昔を懐古するだけに、新しいゲームをする。それは本末転倒ではないだろうか。

結論として、古参ならば、懐古するために買ってもいいと思う。
新規ならば、お願いだから、サクラ大戦のリメイク版を買ってやって欲しい。
『新サクラ大戦』をサクラ大戦として記憶されるのは、ファンとして心安らかではない。

悔しいなぁ……そんな呟きが、口から漏れる新年となった。




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