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『さよならローズガーデン』と聞くと、わたしはなぜか学生百合を思い浮かべてしまう。
もちろん、本編が貴族令嬢であるアリスと、日本人メイドである華子。
このふたりの交流を描いたものだと知っていても、だ。

思うに「ローズガーデン」という響きがいけない。
ローズガーデンと聞いて、何を思い浮かべるだろう。
自宅の庭、なんて人はまずもっていないと思う。(いたら、ぜひ教えて欲しい)
多くの日本人は庭を持っていないし、持っていたとしても日本庭園だろう。

「ローズガーデン」という響きにあう庭は、やはり海外のものだ。
海外とは、遠いものの象徴である。今でこそ海外旅行は身近になった。それでも、欧米は遠い。
ローズガーデンの本場、この本の舞台であるイギリスは日本からみれば一番遠い場所の一つだ。

遠いということは、身近ではないということだ。
身近ではないものは、逆に言えば、特別に感じる。
何が言いたいかと言うと「ローズガーデン」には何か特別なものが隠されているような気がしてくるのだ。

そのうえ、頭に「さよなら」なんて付けてくれた。「さよなら」は別離の言葉だ。
タイトル通りに解釈すれば「ローズガーデンに別れを告げる話」になるはず。

ここで「ローズガーデン」さらなる意味が加わる。
「ローズガーデン」は、わざわざ、別れを告げなければならない、特別な場所ということだ。

では、なぜ別れを告げなければならないか。
ローズガーデンを離れなければいけないからだろう。
離れなければ行けない理由とは?

ここで、やっと学生とつながる。
離れなければいけない。引っ越しやら、離婚やら、リストラやら、別れの理由なんて有り触れている。
その中でも卒業は、誰でも経験したことがある別れの代表だ。

慣れ親しんだ「ローズガーデン」に「さよなら」を告げる学生。
この姿が、わたしの脳裏にはすぐに思い浮かべてしまうのだ。
……まぁ、「ローズガーデン」にマリみてが思い出される、百合好きというのも大きいだろう。
やっと結論までたどり着いた。

さて、ここで『さよならローズガーデン』について語りたい。
今までの話は、関係なかったのかって?
ないわけがない。
『さよならローズガーデン』は、タイトルひとつでここまで話せる作品ということだ。
百合好きの琴線を揺さぶる世界が盛りだくさんだったので、ぎゅっと絞って紹介したいと思う。

まだ見ていない人。

特にお嬢様×令嬢とか。
身分差を超えた恋とか。
社会に阻まれる愛とか。

そういうのが好きな人なら、とりあえず電子書籍をポチろう。
それか、ダッシュで本屋でも良い。とにかく、読まないと損。
そんな内容の本なのだ。



目次
◯『さよならローズガーデン』オススメ内容
1、百合がエスだった頃
2、ハッピーエンドだとわかっていればいるほど、結末が気になる
3、瞳がすべてを伝える百合漫画
◯まとめ



『さよならローズガーデン』オススメ内容

1、百合がエスだった頃

今から100年ほど前、百合はエスと呼ばれていた。
いかんせん、古い時代の話なので、詳しい定義を扱っているものがほぼない。
わたしが収集した情報をまとめると、エスの定義は大体以下のようなものになる。

・明治から大正時代
・女学校に通っている女学生たちの特別な関係

くわしく知りたい方は『花物語』をオススメする。
「古臭い関係ばかりでしょ」と思うなかれ。
結構なかなか、激しいものがある。

わたしの心に刺さっているのは、女学生ながら女教師に惚れてしまった子の話だ。
なんと、この女学生。頭は良かったのだが、女教師に惚れすぎて、気が触れてしまう。
おっそろしい。今も昔も、オンナの執念はスゴイ。
それをありありと感じさせてくれる話ばかりだ。
……100年前でも、今でも、百合好きが好きな話って、そんなに変わらないのかも。

閑話休題。
『さよならローズガーデン』は、まさにこのエスと呼ばれた時代のお話である。
舞台設定は1900年。明治にすれば33年。日清戦争後で、日露戦争前である。

この時代に、華子は女学校で教師をしている。
この設定、英国に渡ったあと、すっかり忘れてしまいがち。
わたしもたびたび忘れて、まるで貴族令嬢とメイドの学生百合を見ている気分になってしまう。

考えてみれば、華子は教師ができる年だし、アリスも令嬢として結婚できる年。
この話は立派な社会人百合なのだ。
二人が尊すぎて、学生百合並のキラキラさを放っていることは付け加えておく。

開国して30年以上経とうと、いくら女学校ができようと、時代はまだ明治だ。
まして女学校に通う女学生となれば両家のお嬢様ばかり。
許嫁もありふれたことだったのだろう。

華子は女学校で、学生が服毒自殺未遂をしたことにショックを受けて渡英する。
なかなかの行動力ではないだろうか。
そりゃ、ショックだけど。悲しいけど。それだけで、英国に渡って、憧れの作者に会おうとするとは……明治の女性、アクティブすぎじゃないだろうか。

そう、華子はとても行動的な女性なのだ。
自分の信念に従い、真っ直ぐに行動する。
愛は自由だと思っているし、約束を曲げてまで行動はしない。
話の中で一貫してそういう女性になっている。
これが清々しい。

華子には他にも謎な部分が多い。
女学校で教師をしていたのだから、自分もかなり良い教育を受けたに違いない。となれば貴族か、武士の家だろう。
そのうえ、渡英して英語でコミュニケーションをとれる会話力もある。
見過ごしがちだが、華子って、かなりハイスペック女子じゃないかな?

いくら女学校で働いていたとはいえ、英国に旅行することもできるし、貯金もあった様子。
アリスと出会う頃には、底を着いていたようだが、実家がかなり裕福な可能性もある。
そのわりに、アリスの邸宅に来たときには感動している。

うーん、華子、謎が多い。

とにかく、そんな現代的とも言える華子に対して、アリスは逆の立場だ。
イギリスは身分制度がかなりしっかりしている。
いまだに(2020年現在)女王もいれば、貴族もいるのだ。
そんな国の1900年である。英国が一番英国らしかった頃とも言えよう。

そんな時代に伯爵家長女として生まれたアリス。
彼女が、家を守るために行動することは、ちっともおかしくない。
そのうえ、自分の初恋で、いろんなものを傷つけた。そういう自覚がある彼女が保守的になっても仕方ないだろう。

日本から来た現代的なメイドと、イギリスの保守的な伯爵令嬢。
このふたりの対比が、非常に見事な作品だった。
一緒にいることで、互いの違いを理解して、刺激を受けて、惹かれ合う。
まさしく百合の王道を突っ走った話といえる。

ま、この二人がどうやって惹かれていくかは、本編を見てもらいたい。
とにかく、百合の王道の尊さを味わえる。
そのかわり、しばらく頭が令嬢とメイドの関係に、とても萌えるようになる。
その結果、他の主従百合作品を買い漁ったりするかもしれないが、数日で収まる副作用なので、注意願いたい。

2、ハッピーエンドだとわかっていればいるほど、結末が気になる

『さよならローズガーデン』は、ハッピーエンドで終わる。
それがわかっているだけでも、ほっとする百合好きも多いのではないだろうか。

百合は、幾分前まで悲しい終わりが多かった。
「好きだけど別れる」とか、「相手のためを考えて身を引く」とか。
そういうキレイな引き際のお話が多かったのだ。

『さよならローズガーデン』は、そういう時代の百合作品を彷彿とさせる。
時代設定が1900年だし、主従百合だし、イギリス人と日本人だし……。
もう別れしか見えない、というようなキャラクター設定ではないか。
そのうえ、極めつけは、最初の決め台詞である。

『思えば、最初に惹かれたのは、手だったように思う』

こんな素敵な一文から始まるのだ。もうワクワクしないわけがない。
この文章から、何が想像できるだろう。

――最初があるなら、最後があるのではないか。
――思い出を振り返っている作品なのではないか。

百合好きとして、色々な場面が想像できる。
たった一文で。

ここらへん、毒田ペパ子先生のセンスの良さに脱帽としか言えない。
このセリフ、アリスと華子、どちらが口にしても違和感がないようにまでなっている。
たった一文。たった一文が、物語の最初から最後まで貫かれ、キーワードのようになる。
いかに、物語として完成しているか分かる気がしないだろうか。

この作品はハッピーエンドで終わる。これは重大なネタバレである。
百合好き諸君の中には、ハッピーエンドなのか、最後までドキドキしたい人もいるだろう。

そういう人には朗報かもしれない。
『さよならローズガーデン』は、ハッピーエンドだとわかっても、ちっとも安心できない。
最終話の一つ前――というか、最終話の最後数ページまで、気を緩めることができない作品だ。
ぶっちゃけ、ハッピーエンドになる気が最後までしなかった。ここまで油断できない作品は久しぶりである。
読んでいて「ハッピーエンドになりますように……!」と祈った。

華子とアリス。
このふたりの性格と立場が、細やかに描かれている。
そのため、どういう選択肢を選ぶか、読者にはわかってしまうのだ。
別れを覚悟しているような場面まである。

逆に宣言しておこう。
『さよならローズガーデン』は、良作過ぎてハッピーエンドだと分かっていないと手を付けれない作品だ。
非常にできの良い百合作品が、別れで終わることほど悲しいことはない。(その別れが美しければ美しいほど、心には残る)
こんなに美しい世界がバッドエンドで終わったらどうしよう……そう心配する百合好きのために、もう一度言っておく。

『さよならローズガーデン』はハッピーエンドで終わる。
ぜひ、ふたりの物語に心揺さぶられて欲しい。

ちなみに、終わった後がすごく気になる仕様ではある。
続編、出ないかなぁと心待ちにしているので、毒田先生、よろしくお願いします。

3、瞳がすべてを伝える百合漫画

漫画の素晴らしいところは、言葉がなくても伝わるところだ。
これだけ長く文章で語っておきながらなんだが、感情は言葉がなくても伝わる。
とくに『さよならローズガーデン』には、そういう場面が山ほどある。
言葉はない。でも表情でわかる。
わたしはそういう百合作品が大好きだ。

言葉がなくて伝わるなら、日本人以外にも伝わるはず。
きっと世界中が百合の素晴らしさに目覚めることも近いだろう。

昔から「目は口ほどに物を言う」と言われている。
まさしく、それを示しているシーンが「さよならローズガーデン」には登場する。
ここだ↓

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(C)毒田ペパ子/


これ良くない?!
見つめるだけで、相手が照れるレベルの感情を送る華子すごいわ。

好きをまっすぐに飛ばせるというのは幸せなことだろう。
『さよならローズガーデン』において、華子は「愛は自由」という信念を持っている。
これがアリスに影響して、なんだかんだあって、ハッピーエンドにつながるわけだ。

日本より進んでいるはずの英国で、愛は自由じゃないと思っていたアリス。
まだ開国したばかりの日本で、愛は自由と信じている華子。
ここでも対照的な二人の考えが登場する。

漫画から学ぶことは多い。
その中でも「目は口ほどに物を言う」ことを感じさせてくれる作品は偉大だ。
「愛は自由」
今でも中々浸透しているとは言い難い概念だろう。
アリスのように、家のことや体面を考える人は、思ったより多い。

「愛は自由」は不自由を多く感じさせるのだ。

それでも、華子のように、自分の思いにまっすぐに生きられるのは素敵なことだ。
『さよならローズガーデン』は、素敵が詰め込まれすぎて、なんと言ってよいかわからなくなる。
とにかく、上のシーンを見れるだけで、百合好きとしては堪らない。(このページだけで大分ニヤニヤした自覚がある)

ちなみに、この間行われた朗読劇。
そこで販売されたサントラCDを流しながら、「さよならローズガーデン」を読むと楽しさが何倍にもなるので、持っている方はぜひお試しあれ。


まとめ


『さよならローズガーデン』は古き良き百合である。
そのうえで、革新的女性を描いた作品でもある。

古き良き百合を脱却して、新しい百合のステージに進んだふたり。
このふたりの、その後を期待したい。

毒田先生も、書きたいっていってるし、きっと出るよね!
シトラスも出たし。
新しく願い事が増えた、作品だった。



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