ドラえもんに出てくる「のび太」。日本人なら知らぬ人はいないだろう。
「のび太が誰かなんて聞く鼎立は頭を打ったのか?」と思われるかもしれない。
安心してほしい。
決して、頭を打って記憶喪失になったわけではない。
タイトルにある【「のび太」という生き方】の本を読んで、真っ先に浮かんできたのが、この言葉。
ドラえもん学という分野がある。
この本を読むまで、まったく知らなかった。
ドラえもん学を起こしたのは【「のび太」という生き方】の著者である横川先生だ。
ドラえもん学、奥が深い。
「ドラえもんー?(笑)」なんて思って読むと、足元をすくわれる。
このごろ読んだ本の中で、一番泣けた。(私は、ドラえもんにとても弱いことを先に明記しておく)
ドラえもんを見たことがない人は少ない。
だから出てくる例えが、どれも身近に感じられる。
見たことがないストーリーでも、ドラえもんに流れる雰囲気さえわかれば、なんとなく理解できる。
理解できると、心に響く。結果、泣く。
ドラえもんを通して、藤子・F・不二雄先生が伝えたかったことは何なのか。
のび太は一体、誰なのか。
子供向けと思って読むと、全然違う。
これは、小さいときにドラえもんを見た大人。
さらに現実に挫けそうな大人に読んでもらいたい本だ。
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のび太は、理想の姿
のび太は、理想の姿
またまた「?」が付きそうな見出しにしてしまった。
のび太といえば、勉強も運動もできない。いわゆる落ちこぼれとして描かれている。
ドラえもんの目的も「のび太を立派な人間にして、野比家を幸せにする」ことなんだから、さもありなん。
つまり、野比家で一番の落ちこぼれがのび太なのだ。
そんなのび太が理想の姿とは、どういうことなのだろう。
勉強も、運動もできなくて、寝坊ばかりするのを推奨しているわけでは決してないので、早とちりしないでほしい。
のび太の理想の部分。それは、毎回のように描かれるのび太の姿勢の話だ。
のび太は、毎回何かトラブルを抱えている。
ジャイアンとスネ夫にいじめられるとか。
テストが近いのに、勉強ができないとか。
しずちゃんにモテるために、何かしたいとか。
よく、こんなにトラブルを見つけてこれるなぁと思える。
すごいのはトラブル体質じゃない。
トラブルばかりなのに、のび太は落ち込むということが極端に少ない。あれだけ嫌なことがあるのに、落ち込まないのだ。
これってすごいことじゃないだろうか。
はじめて気づいたとき「確かに」と、目から鱗の気分だった。
自分がのび太のような立場だったら、とっくに不登校になっている気がする。
いくらドラえもんがいたとしても、自分の能力は少しも変わらないのだ。
頭を良くする道具を使っても、何か起こって元に戻るのが、関の山。
それでものび太は、ひねくれることなく、したいことを見つけて、そのために行動して、失敗したり、成功したりしている。
ギャップがあるということは、失敗するということだ。
失敗しても、ひねくれずに、挑戦し続ける。
これこそ「人生を成功に導く理想の姿」だと、横川先生は言っている。
(ドラえもんから、こんなことを導けるって、学問を起こす人は違うね!)
(ドラえもんから、こんなことを導けるって、学問を起こす人は違うね!)
大人になればなるほど、身に染みる言葉じゃないだろうか。
そう考えると、のび太が偉大な人物に見えてくるから不思議である。
くわえて、のび太はかなり優しい少年である。
のび太は困っている人や動物がいると、放っておくことができないのだ。別に人間に限った話ではない。
のび太は、すべてへ優しさを発揮できる、究極の利他主義人間なのだ。
この優しさが発揮される話は、大体泣ける。
映画ドラえもんをはじめ、しずちゃんとの結婚前夜やら、台風を育てる話やら、おばあちゃんとの秘話まで。
大人になればなるほど、ドラえもんは泣ける映画になるのだから、たまったもんじゃない。
(大の大人の女が、映画ドラえもんのCMで泣くのは、かなり恥ずかしい)
(大の大人の女が、映画ドラえもんのCMで泣くのは、かなり恥ずかしい)
のび太は、野比家で一番の落ちこぼれなのに、決してひねくれることはない。
びっくりするくらい、動物や他人に優しく、自分を変えるための挑戦を続けられる。
うーん、のび太、すごいぞ。
次回に続く!
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