さて、さてさて、今日はまた既存の作品で百合を発掘していきます。

今日、紹介するのは今までも何度か取り上げてきた

「聖伝-RG VEDA-」 CLAMP著

です。

この作品、以前「CCさくら百合考察これ)」で触れたように
様々な萌えのごちゃまぜサラダボウルでございます。

キャラ一人一人の個性が強すぎる上に、生き残れるのも数少ないというこの作品ですが、今日は百合に視点を絞って紹介していきたいと思います。


*注意

毎度のことですが、非常にネタバレしています。
 
今から読むのを楽しみにしていたのに!
新しい作品は何もいれずに読みたい!

という方は、読み進めることに注意が必要です。

百合的人物紹介・組み合わせ


「聖伝」は1989年から連載された漫画でございます。

古い漫画、と思うなかれ。
この漫画を話さないことには、日本の萌え文化は語れない!

と私は思っております。(勝手な思い込み)

人間小さい時に読んだ漫画の方が影響が大きいものでして、私自身青春をCLAMP先生と過ごしてきたので贔屓はあるかもしれません。


〇あらすじ

最強の武神将「夜叉王」が、天界を過酷なやり方で統治する天帝「帝釈天」に反旗を翻し、
帝釈天に滅ぼされた阿修羅族の最後の生き残りである幼い「阿修羅王」を守り、
「天を滅ぼす」と予言に示された六星を糾合する旅に出る。

以上、Wikiさんより。

話としては王道ですが、中身は昼ドラも真っ青の内容でございます。

具体的には

・帝釈天×前阿修羅王の背徳感たっぷりの不倫カップル
(帝釈天→前阿修羅王)

・夜叉王×阿修羅のショタからの、奇跡の愛カップル

・乾闥婆王×蘇摩の主従からの百合っぷる心中

・迦楼羅王×迦陵頻伽の姉妹百合

他、他、他

挙げきれないほど、いろんな嗜好に出会えます。
この話で、萌えない人を見つけるのが大変かもしれない。
多くの人が死ぬ結果になりますので、そこだけご覚悟を。

では以下から百合的登場人物紹介です。


〇乾闥婆王(けんだっぱおう)

聖6

私がこの話を推す原因ともいえる人物です。
 
見た目は長い黒髪の美女で表向きは「天界一の楽師」
別の顔は「東方将軍・持国天」となります。

そんな彼女の信条は「強き者が好き(=絶対)
これが唯一にして絶対の真理だったわけです。

自分の感情も、願いも、強き物の前では意味のないこと、だったのではないかと。

だからこそ、最終局面では愛していた蘇摩(そうま)と戦うことになります。

強き者=帝釈天に従う彼女と、帝釈天打倒の旅に出た蘇摩。
いずれはぶつかり合うことは間違いなかったわけです。
結果として、自分の手で蘇摩を殺すことになってしまうわけです。
そして、そのまま自害してしまいます。

「貴方がいない天界で、生きていてもしようがないもの」

その時のセリフがこれ。
どうしようもないくらい百合ってる!!!

つーか、そんなに好きなら生きろよ、逃げろよと百合心中反対派の私は思うのですが。
 
この人は、逃げたらもう「この人」ではない気がするので。
これしかなかったんだろうなぁと今でもしみじみ思います。



〇蘇摩(そうま)

さて、上で散々名前を連呼された蘇摩さんです。
彼女は蘇摩一族を帝釈天に滅ぼされたことで最後の生き残りとなります。
そこを乾闥婆王に拾われたことで、主従関係が始まるわけです。

上では、乾闥婆王の蘇摩への愛を語ったわけですが、逆も中々すごいです。
「我が君」と乾闥婆王を呼ぶ蘇摩は旅立つときに

「必ず帝釈天を討って戻ります」

と約束し、耳飾りの片方を託します。

この時、乾闥婆王の気持ちを考えると切なくてしょうがない
「好きな人が、絶対自分と戦うことになる道へと進むのを見送る」なんて気持ちが重かったでしょう。

最終決戦で持国天の正体が「我が君」だと知った衝撃は計り知れません。
もう、戦いを心に決めていた「我が君」と何も知らない蘇摩では最初から結果は決まっているようなものでした。

乾闥婆王の視点では自害した時点で終わっているのですが、蘇摩視点では続きがあります。
実は蘇摩一族は「一生に一度だけ飲ませた者一人を不死にできる」という特殊な血を持っていたのです。
滅ぼされた理由でもあります。

蘇摩は自分の血を自害した乾闥婆王に飲ませようとします。

自分が殺されたとしても、自分が死ぬとしても、乾闥婆王に生きていて欲しかったわけです。
これは乾闥婆王の願い(=貴方がいない天界で、生きていてもしようがないもの)とは相反するものです。

愛する人には生きていて欲しい。

これ以上ないほど健全な考えであります。 
ただ、蘇摩のこの願いは叶うことはありませんでした。
帝釈天の手により止められてしまうのです。
最後に帝釈天をにらむ蘇摩。
失意のまま息絶えてしまいます。

その後、帝釈天は言います。

「愛する者のいない世界で一人生きるのは辛いものだ」

このセリフ、この話に合いすぎて嫌(笑)

そして

「貴方がいない天界で、生きていてもしようがないもの」

このセリフととても似ている、というよりほぼ同じニュアンスです。

帝釈天と乾闥婆王は非常に似た性格キャラ付けをされている気がします。


〇迦楼羅王(かるらおう)×迦陵頻伽(かりょうびんが)

姉妹百合とくくるのもどうかと思うほど、見事なシスコン姉妹です。

迦楼羅王の行動基準は全て迦陵頻伽のため

迦陵頻伽も姉のために病弱な体をおして歌います。

上の乾闥婆王×蘇摩のような悲劇的なすれ違いはないため、ひたすら純愛しています。
どちらかといえば、家族愛な気もするし、迦楼羅王は「私のすべて」みたいなことを平然と言ったりします。
難しいところです。

関係性としてブレがない二人は、悲劇が盛りだくさんの「聖伝」の中でも残酷な終わり方をします。
悲しさで言えば乾闥婆王×蘇摩よりも救いがない。
上の二人は少なくとも乾闥婆王の願いは叶っているようなものですから。



〇まとめ

「聖伝」は強いものが自分の願いをかなえる物語だった気がしています。

希望の持てる終わり方をした人はとても少ないですが、いかに悲劇的な終わり方でも強者が望んだ終わり方をしている関係が多いと思います。
願いをかなえた人物としては「帝釈天」「乾闥婆王」「夜叉王」らへんですかね。

それが傍目から見て迷惑でも、悲しくても、この人たちには満足のいく結果だったのではないかと。

逆に敗者には何も残らない漫画だったかなとも思います。
「蘇摩」「迦楼羅王」はその典型かなと思います。

強いものが正義とは言いません。
それでも強いものしか、願いを押し通せません。

ある意味、世の中の心理を表した漫画だと思いますので、興味のある方は手に取ってみてください。

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↑今は愛蔵版しか売っていないようです。


*ファス*